僕たちが普段、”動かぬ事実”だと思っていることのほとんどは、実は、見方・捉え方によって、あれこれと変化する。
また、僕たちの知性や知覚はごく限られたもので、言わば「錯覚」に囲まれて生活している、と言える。
それを、忘れないようにして欲しい。
忘れているとすぐに傲慢になるし、賢者がせっかくアドバイスをくれても、理解出来ないだろうから。
錯覚にもいろいろあるけど、要は、感覚で捉える情報は、真実そのものではないということだ。
モンシロチョウはオスもメスも白いが、それは人間の眼が受信範囲の電磁波に勝手に色を付けているからそう知覚されるだけであって、実際は紫外線域で見ればオスとメスは全く違う色に見える。だから、チョウ同士は一目で相手の性別が区別できる。
歩いて地球の裏側まで真っすぐ旅をしても、地球がほぼ球体だという知識が無ければ、自分が歩いた道のりは丸いということに、なかなか気が付かない筈だ。
もし仮に平面の中に住んでいる人がいたら、本当は円筒形のコップを、ある平面の住人は円形と言い、別の平面の住人は長方形と言い、また別の平面の住人は楕円形だと言うだろう。そして、平面に閉じ込められている限り、真の姿の円筒形を理解するのは、相当難しい。
僕たちもそんな状況と全く同じで、時間と空間によって限定された一種の”錯覚の牢獄”に閉じ込められているようなものだ。
もしかしたら、他人と自分との思考や意志や感情を”切り離された別々のもの”であるかのように体験するのも、実は錯覚で、真の姿はもっと違うのかもしれない。
時間が過去→現在→未来と、一定のリズムで弛みなく進んでいるように感じるのも、錯覚かもしれない。
ワルモノをやっつけたら平和がやってくると思うのも、たぶん錯覚だ。
話がズレるけど、ちょっと現実的な例え。
新聞によく載っている見出しで、「国債残高1000兆円・国民1人当たり800万円の借金」というのがある。破綻がどうとか、とってもまずい状況のように書いてある。
でも実はよく考えてみると、借金があるということは、必ず同額の債権があり、債権は”資産”だ。
今のところ国債の殆どは、外国が買っている訳ではないらしいから、国の借金とほぼ同額の資産を、日本国民が持っているはずなのである。
すると、資産は無視して国債だけを割り算し、「国民1人当たり800万円の借金」と報道するのは、片眼をつぶったようなものに思えてくる。「国民1人当たり800万円の債権(=資産)」もあるはずだから。
それなら、ドイツに借り過ぎて破綻がどうこうとかいう、ギリシャのような場合とは、状況が違うことになる。
お父さんが仕事の運転資金に子供の学資の貯金を借りているようなもので、一家が破産する危機には、繋がらないのと、同じ話。
専門ではないので、以上が正しいかどうかわからないけど、すると問題は、税金の先食いをして世代間格差が生まれることや、外国に買われるとまずいこと、金利で起きる所得の移転が不公平を生むこと等であって、国の破綻、ではない気がする。
(もしこの考えが妥当ならば、だけど、)世間や報道機関に広がっているイメージと、現実の姿とは、相当程度、乖離していることになるんじゃないかな。
このように、刷り込まれたイメージで物事を判断していると、実は間違っているのに全然気が付かない例というのは、枚挙に暇が無いのだ。
危険である。
だから、目や耳から入れた情報を、鵜呑みにばかりは、しないで、心に広い視点を持つこと。
ふと疑問を感じたら、情報を集めたり、人の意見を聞いて、よく考えて、判断すること。
それが間違っている可能性はいつも常にあることを、忘れないこと。
人の意見を自分が理解出来ないからと言って、門前払いにしないこと。
そうしたら、見えない笛吹きに一生踊らされなくても、済むかもしれない。
意味がわからないまま揺り籠から棺桶に移るだけの一生よりも、もうちょっと面白おかしく、いろんなことを味わえるかもしれないと、お父さんは思う。
そして、子供たちに、それを望む。